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Relic
(c)pope_taddy photographed at my apartment, japan, 2011  © taddy



ヴァチカンから貴重なものをいただいちゃいました!!

故ヨハネ・パウロ2世の「聖遺物(せいいぶつ)」。「聖遺物」とは、簡単に言うと、聖人にゆかりのある貴重なもの。いただいたのは、ヨハネ・パウロ2世が実際に着用されていた衣服の切れはし。生前から聖人のほまれ高かった教皇ですが、異例の速さで今年の5月1日、聖人のひとつ前の段階の「福者(ふくしゃ)」にあげられます。

聖人や福者として認められるためには、生前の素行はもちろん、死後、その人のとりつぎで奇跡が起こることが必要。奇跡が起こるということは、その人が天国にいて、神さまにお願いしている証拠だから。しかも、そう簡単には認められず、地道で長い徹底的な調査がなされます。膨大な数の証言を集めたり、「奇跡」と報告された出来事も科学的なメスがとことん入れられます。あらゆる調査を尽くして、これは科学的にも説明がつかない事例だと判断されてはじめて、「奇跡」として受け入れられます。だから、聖人として認められるまで、最低でも50年くらいかかることはざらです。今回、パーキンソン病で苦しんでいた女性がヨハネ・パウロ2世のとりつぎを祈ったところ完治した事例が、奇跡として認定されました。

ポーランド出身の彼は、もともと演劇が大好きで、サッカーからボートまでこなすスポーツマン。ナチスのポーランド侵攻時、鉱山で労働者として働きつつ、地下組織で神学を勉強し、やがて神父に。若くして家族を失い、ナチスや共産主義政府の下で必死に生きてきた苦労人です。1978年に教皇に選出されますが、当時、誰も予想していないことでした。しかも、スラブ系では初の教皇。

教皇に就任してからは、「空飛ぶ教皇」として世界を駆け巡ります。世界100カ国以上を訪問。訪問先の言葉を必ず勉強し、降り立つとまずその土地への尊敬を表すため、地面にキスしてましたね。日本語でもスピーチしてました。若者たちとの対話を好み、新しいテクノロジーにも興味しんしん。他文化や他宗教との対話も熱心で、口先だけじゃない平和行動を実践。あらゆる層から慕われてました。

そうそう、1981年には暗殺未遂事件があったな。教皇の影響力を恐れた共産主義勢力(おそらくはソ連)が、トルコ人(アリ・アジャ)の共産主義者を雇い、暗殺を企てます。教皇は一般謁見中、至近距離から銃撃され重傷を負いますが、一命は取り留めました(死ぬまで後遺症に苦しみましたが)。ヨハネ・パウロ2世は、終身刑で収監されたアジャのもとを訪れ、自分の命を狙ったアジャを許しました。アジャは恩赦を受け、トルコに送還されます。2005年、ヨハネ・パウロ2世が帰天した際、アジャは非常に悲しみ、喪に服したそうです。

彼の功績で一番目立っているのは、共産主義の崩壊でしょうね。ゴルバチョフも彼がいなかったら共産主義は崩壊しなかったと言ってました。母国ポーランドも共産圏に属し、冷酷な独裁者によって治められていましたが、教皇が訪問した際、震えが止まらなかったというのは有名な話です。

葬儀には世界中から元首が参列。欧米だけでなく、中近東やイスラム圏、アジア、アフリカからも王族や元首が集まりましたね。たしか、300万人近く集まってローマがあふれかえった史上最大規模のものだったと記憶してます。それだけ彼が慕われていた証拠。ただ、日本政府は、儀礼上から言っても本来なら皇族や首相級の人間を派遣してもおかしくないのに、たしか首相補佐官レベルを派遣していたのが情けなかったな・・・。

彼が際立った偉人であったことは間違いありません。

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Comment








ウィキペディアなどではうかがい知る事が出来ないような、
生きた、血の通った証しを書いて下さってありがとう!

真に聖霊に導かれている人は、
正しく判断し、そして自由なのだな〜と感じました。

いつも傍に置いて大切にして、執り成しをお願いしていたら、
きっと非常に沢山のことを
タディさんのためになさって下さると思います。

祝福がタディさんの上にありますように!
  
from. からやん | 2011/02/19 09:57 |
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